極真空手とは

極真空手は、創始者である師・大山倍達が日本で、そして世界各国で修業を積む中で確立した独自の精神とルールを持つ武道空手です。

その精神は、「頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という師の言葉に象徴されています。

現在、師の後を継ぐ松井章圭館長を中心に、世界120ヶ国・1200万人に上る会員が、ある者は強さを、ある者は健康と美容を、またある者は精神力を求めて日夜修業に励んでいます。

大山倍達 総裁

極真空手創始者大山倍達総裁今や伝説的存在となった地上最強の武道家、大山倍達。

若き日より拳法を学び、1947年、戦後発の全日本空手堂選手権大会で優勝して以来、自らの精神と肉体を極限にまで追い詰める修行の日々が続く、山篭もりや闘牛との対決、アメリカをはじめ世界各地での武者修業など、数々の逸話は有名。

1964年、それまで空手界の常識であった「寸止めルール」に対して、本当の強さを求める「直接打撃制ルール」を掲げ、国際空手連盟・極真会館を設立。

世界120ヶ国、1200万人の門弟の総裁として、その生涯を極真空手に捧げた。

1994年、逝去。享年70歳。

松井章圭 館長

極真空手松井章圭館長大山総裁に憧れ中学時代に極真会館に入門。恵まれた素質と不断の努力により、たちまち頭角を現す。

若干17歳で全日本大会に堂々4位入賞し、非凡さを世に知らしめた。

第17回、第18回全日本大会優勝。翌年の第4回世界大会をも制すという偉業を成し遂げ、その俊敏にして華麗な組手は空手界の貴公子と呼ばれ、多くのファンを魅了した。

また、極真空手きっての荒行、百人組手を達成し、いよいよ真の武道家としての基礎を確立。その後、後進の指導にあたりつつ大山総裁の哲学を学んだ。

大山総裁の死去に伴い、その遺志を継ぎ、極真会館館長に就任。現在、世界の極真会館組織の運営と、益々の極真空手の発展を目差し、東奔西走の日々を送る。

広島県支部

1995年11月に松井章圭館長より認可を受け、総本部直轄広島西道場として三原市宮浦中学校体育館で道場生5名よりスタート。

1996年より6月広島市において稽古をスタートし、念願の常設道場をオープンし、そこを広島西本部道場として定める。

道場生達による手作りの道場であったが、このころより道場生が急増し、より広い道場へと(鶴見道場)移転した。その後広島西支部へと昇格する。

2009年10月に広島県全エリアを管轄し、名称を広島県支部へと変更する。

尚、現在の本部道場は、加圧トレーニングジムを併設した富士見道場へと移転している。分支部道場22ヶ所で3歳から65歳までの道場生約600名が日夜、稽古へ励んでいる。

現在、全世界 型 優勝者1名、全世界 組手 準優勝者1名、全日本 組手 優勝者4名、全日本 組手 準優勝者7名在籍。

支部長 小田勝幸

極真空手広島県支部小田勝幸支部長高校卒業後、上京し極真空手の創始者・大山倍達の内弟子(第十四期)として、総裁・大山倍達より直接指導を受け、3年間の難行苦行に耐え卒寮し、弐段を取得。

その後、チャンピオン製造工場と言われる東京都下城西支部に移籍し、山田雅稔支部長より、競技として試合に勝つ為の指導を受けた。

大山倍達、松井章圭、山田雅稔という名指導者より直接指導を受けたその経験を買われ、 1995年11月、総本部直轄広島西道場の責任者に就任。

以後、手取り足取りの直接指導を 信条に広島に本物の極真カラテを広めるために活発な活動を行っている。


昭和39年4月2日生
広島県三原市出身
四段(2003年取得)

内弟子時代の写真

内弟子時代の写真

かつての小田師範の写真